About R4L

R4ってどんなクルマ?

R4Lの正式デビューは、1961年9月のフランクフルト・モーターショーと、翌10月に行われたパリオートショーで、R3(トロア)、R4(キャトル)、R4L(キャトレール)の3タイプの発表だった(※フランスではR4L「キャトレール」がその後この車を表す通称として呼ばれる。発表直前の8月には200名のジャーナリストを集め、フランスはカマルグ地方で先行の発表会を行うほどの念の入れようだった)。

当時、メンテナンスフリーをいち早く謳い、ルノー初の前輪駆動方式採用など、正に鳴り物入りのデビューだったのである。そして、1961年10月早々にはF4(フルゴネット)を含め4タイプのデリバリーが開始された。

開発はプロジェクト名112とし、開発チーム内では販売価格設定から350という名称で1956年にスタートする。当時ルノー公団ピエールドレフュス社長は、世界中にブルージーンズが広まったように、今後の時代に順応性のある、多目的で経済的な世界中の人々に愛される車を作りたいという思いから「ブルージーンズのような車」を開発コンセプトとした。既に世界的大ヒットを収めていた4cvを後継するという重大な責務を背負ったR4Lは、正に失敗は絶対に許されない状況だったのだ。実用一点張りのFF 5ドアハッチバックというスタイルも、荷客両用のコンセプトに基づくもので、世界初のことである。

デビュー当時のキャッチコピーは「どこへでも乗って行ける旅行鞄の様なクルマ」であった。丈夫で長持ち、そして安価、使い勝手のよいR4Lは、当然のように受け入れられ、瞬く間にその地位を築いたのであった。その人気の様相は、販売開始後6年間で100万台を突破するほど。

そして、1992年12月3日ルノーはR4Lの生産終了を公式発表する(その後モロッコとスロベニアでわずかながら1994年まで生産される)。その生涯を終えるまでの31年間で、累計生産台数8,135,424台と歴史上3番目に生産台数の多い車となり、フランス車としては世界販売台数1位となった。